ナラティブが呼んでいる

朝食を作って
洗濯して
子どもらを送っていって
仕事のルーティンをして
勉強です。

勉強までにやることが多いので
順番見直したほうがいいのだろうけど
勉強を最初にすると
それはそれで落ち着かないのです。

仕事は仕事で手は抜けない。
当たり前だけど
気が小さいからなおのこと。

自分のペースでやれるのが
放送大学のいいところだし
今日も今日もとて
自分のペースで進めます

教育と心理に関する科目

人間と文化コースにいますが
独学でいろいろ勉強していた頃は
心理学に興味がありました。

やればやるほど
自分の嫌なところが
わかるのがツラくなって
一度離れたのですが
やってみるとやっぱり面白い。

そしてこの科目は
教育学がかけ合わさっているのも
すごく興味深い。

仕事のキャリアも長くなって
いつかは技術をシェアしたい
という野望があるので
教えるということが
個人的に熱いのです。

その二つにまたがる領域を扱った科目なので
シラバスで見つけて
受講即決でした。

今回は
「なぜ人は勉強するのか」
を考察した回でしたが
特に響いたのは「ナラティブ」
という言葉。

語ることと
語られて生成されたもの
の両方を指す言葉。

大人になって勉強する目的は
自分の人生を意味づけるため。

ぶっささりました。

やっぱりなんで勉強するのか

自己紹介の回に書いたように
「子どもが生まれて
いろいろ勉強したくなった」
が放送大学に入った
いちばんの理由ですが

あとひとつ
「優しくなりたいから」
というのもあります。

とにかく怒っているんです。
日ごろの僕は。
超人ハルクばりです。

優しくなる
から遠いところにいます。

まあ落ち着いて
6秒待ってみよう。

みたいな話でもなくて
「何に怒りを向ければいいか
わからないから」
ずっと怒っているのです。

怒りを消すために
正しく発散させるために
勉強したい。

それができたら
これまでの人生で経験した
「言葉にできなかった苦しいこと」
の本質が見えるのではないか。

これまでの道のりの
意味がわかるのではないか。

そんな希望があったことに
気がつきました。

おわりに

実は少し前に
大江健三郎の著作を読んでいて
先にナラティブという言葉に
出会っていました。

そこでは
大江健三郎の創作の手法
としてナラティブが使われていて
読んで「ほーん」くらいに
思ったは思ったんですが

こんなに短いスパンで
ナラティブ
という言葉に出会うとは
なにかあるんじゃなかろうか
手がかりがそこに。
と思ってしまいます。

まあ、こうやって自分なりに
意味づけしていくことがまさに
ナラティブ学習
なのかもしれませんが。

まんまと乗せられているなら
それはそれでいいかな今は。
という感じです。

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