夏が過ぎて

久しぶりの更新。
半年あかなかっただけよしとしよう。

前回の記事で書いていたように
春にパートナーと大きめのケンカをしたんですが
それが原因で適応障害を発症してしまいました。

これも前の記事にあるとおり
楽しい生活を守りたい
家族への感謝を思い出す
ということで立て直そうとしたんですが
できませんでした。
パンクに近い感じでした。

やっぱり自分の気持ちも無視しちゃいけない
ですね。

ときを同じくして
仕事も急速に業績が悪化して
新しい収入源をみつけなければならなくなりました。

なぜいろいろ重なるのか。
毎日がメンタル的に
エクストリームハードです。

放送大学2学期を前に
現在地を記しておこうと思います。

適応障害

僕は一年前まで断続的にうつとつきあっていました。
去年の夏に治った!
と思ったのですが
やはり完治はないのかもしれませんね。

ちなみに
うつ病と適応障害は別のもの
らしいです。
抑うつ感情が共通しているので
僕は同じものだと思ってました。

適応障害の特徴は
原因となった出来事が特定できること
だそうです。

僕の場合、原因は
パートナーとのケンカ
と特定できるので
今回は適応障害という診断になりました。

困るのは
ストレス耐性が大幅に下がる
感情のコントロールが難しくなる
抑うつ感情がある
ことでしょうか

人によっては他にもあるかもしれませんが
僕の場合はこの3つが大きいです。

ケンカの最中は売り言葉に買い言葉的なやりとりだった
と今は了解していますが
パートナーの発言から
「あなたの仕事のせいで私は割をくっている」
「仕事が大事、家族の時間は苦痛」
というメッセージを受け取ったことが原因でした。

うちに限らずだと思いますが
子どもができると親個人の時間は制限されます。
公私に渡ってです。

個人事業主の僕としては
仕事の時間を削るというリスクも背負って
個人的にやりたいことも我慢して
家族の時間を守っているつもりでした。

日々の家事も8割ほどやっていましたし
子どもの相手も7割方引き受けていました。

そこには
会社員であるパートナーに
思うさま仕事をしてもらう
という目的も含まれていました。

ただし僕の仕事は前日になって決まることが多いので
スケジュール調整でパートナーには負担をかけていました。

いいのか悪いのか
実働の日数がそこまで多くないので
上記の分、家の事を引き受ければ
バランスは取れているってことでいいかな
と思っていたのです。

が、
僕の仕事のせいで自分のスケジュールも確定しない
ということがパートナーにとっては
ずっとストレスだったようです。

結婚する前からこうだったので
織り込み済みだと思っていたのですが
その不満がとある行き違いから噴出して
ケンカとなったわけです。

そもそも引き受けすぎだった
正直キツいと思うこともあった
家事育児の分担なので
そのケンカのストレスがトリガーとなって
僕は適応障害を発症しました。

抑うつ感情のせいか起き上がれない
希死念慮に襲われて塞ぎ込んでいる
感情の抑えが効かず情緒不安定になる
という僕の姿をみて
パートナーもヤバいと思ったらしいです。

その後話し合いを重ねて誤解を払拭し
日常の動きや考え方を変えて
家族の仲は修復されつつあります。

今はさらに心療内科に通って
薬を使った治療もしています。

ただまあ
適応障害の日々は綱渡りのようなところがあって
気分が落ち込むとすぐ動けなくなるので
なんだかソーッと生きている感じです。

勉強というギプス

そんななか支えになったのが
放送大学の勉強でした。

何もせず休みたい
とも思うのですが
そうすると一日が秒で溶ける
倒れて再起から始めると年単位で時間がかかる
ことが過去のうつでわかっていたので
歩きながら回復を目指すことにしました。

1学期がすでにはじまっていた
授業料を払ったあとだった
とか他の理由もあるんですが
仕事のことがあって焦る気持ちも大きかったので
日々小さな達成感を集めて前を向く
という戦略をとりました。

これがギプスのように
立っている事をサポートしてくれました。

おぼつかない日も多くありましたが
そんななかでも投薬は続くわけで
じわじわと症状は緩和されていきました。

そして何より
新しいことを知ることが
今後を生産的に現実的に考えるために
すごく役立ちました。
視野を無理矢理広げてくれたのです。

仕事がなくて焦る日がある
でも勉強はする
メンタルが落ち込んでいる日がある
でも椅子に座ってテキストを開いてみる
希死念慮がやってくる
授業の配信をみて頭を切り替える

振り返ってみるとなんだか荒療治ですが
今年の夏はこうして乗り越えました。
必死だったので成績も過去一よかったです。

そして無理矢理にでも考えるうちに
進むべき方向を見定めることもできました。
見定める、というか
自分の興味に嘘をつかず
まだしもやれそうなことを
絞り込むことができた
という感じでしょうか。
詳しくはまた別記事に書こうと思います。

勉強のある日々

自分のこと
他人のこと
世の中のこと
知らなければならないことはまだ無数にあります。

もうそろそろ大人も中盤だし
わかってることが増えてもよさそうなもんですが
自由業だったからでしょうか
一向にわかった気になれません。

なんともおぼつかないことですが
それをわかりたいという想いが
僕を生きながらえさせています。

なぜ生きるのか
どう生きるのか

いかにも人間と文化コースな問いに答えを出したくて
今日も勉強をします。

ただね。

生きて
家族との時間を大切にしたい。

適応障害を発症しておきながら
やっぱり最終的な目標はこれです。
これだけはわかりました。

ケンカしてぶっ壊れておきながら
やっぱりパートナーは大切だし
感情が抑えられなくて苦しみながら
やっぱり子どもたちはかわいいのです。

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