長男が小学校に上がったので帰宅が早くなった。
パートナーは会社勤めなので
家を空けている時間が長い。
僕も本当は外出したいところだけど
職業柄家にいられるときは
なるべく家にいるようにしている。
なので僕が帰ってきた長男を出迎えて
宿題をみて
なんならちょっと遊んで
夕飯を作る。
これがわが家のスタイル。
最近は宿題をやっている長男の横で
放送大学のテキストを広げている。
日々を乗り切る
ぶっちゃけ自分の時間ほしいっす
もっと。
自由業とはいえ
仕事のために日々こなさなきゃいけない
トレーニングやら勉強やらあるので
できるなら僕も19時とかまで
仕事したいっす。
でもできない。
生活スタイル的に。
ここで
「子どもがいるせい」
とは言いたくない。
そもそも
言いたくなったことがないので
そこは自分の数少ないいいところ
かもしれない。
ただし
同じスタンスをパートナーに期待して
違いを見てイライラする
ということは起きている。
パートナーにイライラしてしまう。
これは
たくさんある自分のよくないところ
のひとつで間違いないと思う。
そんなときは
自分の認識を変えるようにしている。
仕事に人生をかける
というスローガンのもと
社会性もなかった自分が
今幸せでいられるのは
家族のおかげ。
なので
自分の考え方を変えて
生活がうまく回ることを優先する。
とはいえきついな。
みんな
どうやって折り合いつけてるのかな。
というのが正直な気持ちで
答えを見つけたくて
Xを徘徊したりします。
だけど
昔の人も同じことを考えていたらしい。
哲学とは
どうすればよく生きられるか
という問いから始まった学問。
「恥ずべき利得より
損失を選べ」
「友を得るに早まるな。
ただし一度得た友を見限るに
早まることなかれ」
「外見を飾り立てるな
行いにおいてこそ
美しくあれ」
とかとか
哲学者のパイセンたち
名言だらけです。
ついやってしまうこと
考えてしまうこと
そういうのを
「いかんいかん」と正して
ご機嫌に生きようというのは
昔からみんな目指しているみたいです。
まじで日々を乗り切る
先日大きめのケンカをしました
パートナーと。
冷静に考えれば
どちらも歩み寄れる余地はある
ってことで。
今は以前の空気に戻れるよう
少しずつ関係修復中です。
何がよくなかったのか
何を変えたらいいのか
悶々と考えながら思い出したのは
「楽しく暮らそう」という
最初に二人で交わした目標
でした。
優先するのは自分の言い分じゃない。
楽しく過ごす日々の生活
それを守りたくて
がんばっていたんじゃないのか。
まだまだ自分の気持ちは
整理できていませんが
自分にとっての「よく生きる」
を実践するために
ご機嫌な方向に持っていきたいと
思います。
さいごに
なんで勉強するんでしょうね。
自分なりに
答えを出しているはずなのに
いまだにしょっちゅう考えます。
わかっているのに
パートナーに限らず
世間に
仕事仲間に
両親に
イライラしてしまします。
そのたびに
いかんいかん
と思うのですが
きっとまたやってしまう
という確信めいたものもあります。
その度に自己嫌悪とかするんでしょうが
諦めずに
認識を変えていこうと思います。
作家のレイモンド・チャンドラーが
「強くなければ生きていけない
優しくなければ生きていく資格がない」
って書いていたのも思い出しました。
みんなできればずっと
優しくいたいのだろうなぁ。
いたかったのだろうなぁ。
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